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長龍寺新墓所 -あがつま石材

豆腐地蔵とは

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道標

「江戸山の手二十八所地蔵尊参」は、『東都歳時記』に「本願経二十八趣の利益にもとづき二十八所とすと云」と記され、二十八ヵ所参りの道程は三里(約12km)ほどと書かれています。
 十一番長龍寺の「豆腐地蔵」は本堂の手前左側の地蔵堂にこんにちも祀られていますが、それには次のような伝説がのこされています。

豆腐地蔵の伝説

むかしむかし、市谷左内坂下の豆腐屋に、いつも日暮れどきであったが、豆腐を買いに来る一人の僧があったそうな。ところが、妙なことにこの僧が買いにきた日にかぎって、あとで勘定をしてみると、きまって売上の帳尻があわぬ。それもそのはず、銭のなかに木の葉が一葉まじっているのであった。これは、さだめて妖怪変化のたぐいのしわざであろうと、店の主人がある日、例のごとく日暮れじぶんに豆腐を買いにきたその僧のあとをつけていくと、かの僧は坂上の長龍寺の山門の中にすうっと消えたのだそうな。
お坊さんがまさか妖怪でもあるまい、と主人はおもったが、不思議な事には違いないから、その筋に届け出た。この噂はたちまち町中にひろまったので、時の寺社奉行は配下の清水兵吉という者に命じて僧の正体をつきとめさせることにした。
そして数日後のことだった。夕暮れ時に、豆腐屋からいつものように豆腐を買って僧が出てきたので、清水兵吉はあとをつけ途中で呼びとめたのである。が、兵吉が「おいおい、そこな出家よ」というやいなや、くだんの僧は突然逃げ出したのだった。兵吉は追いかけた。そして抜きうちに斬りつけた。その瞬間、なんとも不思議なことに、僧の姿は忽然と消えたのだそうな。
不思議なことはそれだけではなかった。そこに、血のついた小さな石片がぽつんとあるのだった。兵吉は血痕をたどっていく。それは長龍寺の中の地蔵の前で消えている。
tofu-book.gif見ると、その地蔵は右耳から肩先にかけて断ち割られて、兵吉をごらんになるその御眼がなんとも怨めしげである。さては、くだんの僧はこのお地蔵様の化身だったのか、お地蔵様は豆腐が大好物だったのだな、と気づいた兵吉は、深い懺悔の念にとらわれた。
清水兵吉はその後出家して「徹了」の僧名で長龍寺の弟子となり、生涯地蔵の供養につとめた。豆腐屋の主人も、もとはといえば自分の届け出から生まれた一件だったから、これも大いに懺悔するところあって、それからは一日一度は長龍寺に地蔵参りをすることを欠かさなかった。
その効験あってか、ためにその豆腐屋はすこぶる繁盛するようになり、この右耳の欠けた地蔵は「豆腐地蔵」とよばれ、江戸の豆腐やの信仰をあつめ、やがては江戸庶民の商売繁盛の守り地蔵としてしたわれていったのだそうな。

<長龍寺史より>



江戸事蹟浪曲編纂

IMG_0040.jpg当寺豆腐地蔵は、寿星・岡山丘作氏の『江戸事蹟浪曲編纂』の第四十七回作品に作詞されています。その詞は「名にし東の名所図会、江戸の昔の、面影を、豊に残す、御事蹟、馨も今に、馥郁と、由緒も尊き長龍寺、常盤の松の、苔蒸して、寺門興隆弥栄、事蹟と伴に、伝わりし、豆腐地蔵の御由来......」というものです。


平成2年11月14日 杉並区教育委員会より、石造地蔵菩薩立像として杉並区有形民俗文化財に指定されました。
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